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膨化高麗人参濃縮物の製造

高麗人参の歴史

「高麗人参の由来」


朝鮮人参、薬用人参、オタネニンジンとも呼ばれていますが、学術名は「パナックス・ジンセンC.A.メイヤー」で、19世紀にフォン・メイヤーによって名づけられました。「パナックス」はキリシャ語で「何にでもよく効く」という意味で、まさに高麗人参は「万能薬」ということなのです。

ちなみに、野菜のニンジンはセリ科で高麗人参とはまったく別のものです。
高麗人参は本来、野生の植物でした。高麗人参が紹介されている文献で最も古いものは紀元前一世紀にまとめられた、中国の「急就草」ですが、実際は4000〜5000年前から用いられていたようです。

原産地は中国東北部や朝鮮半島の山間部、シベリアの山中などで、朝鮮半島に栄えた高句麗に由来して「高麗人参」と呼ばれるようになりました。野生といっても、自生する量が少なかったため、霊薬として珍重され、秦の始皇帝や漢の武帝も、多くの人員を山中に送り、高麗人参を探せたことが知られています。彼らにとって高麗人参は、まさに「不死薬」であり「不老薬」だったのです。

日本に渡来したのは奈良朝天平時代とされ、天平11年(739年)渤海の使者が天皇に奉じた記録が残っています。
延暦16年(797年)、菅原真道らによって編纂された「続日本紀」に残る高麗人参の記載が初出とされ、高麗人参が皇帝や貴族だけが手にすることができる貴重な渡来品であったことが書かれています。
近世においても、江戸幕府を開いた徳川家康が高麗人参を愛飲していたことが有名です。
現在日本での栽培は、島根県、福島県、長野県が盛んです。江戸中期徳川吉宗の時代に日光の幕府御薬園で人参の栽培に成功し、その種子を幕府は各藩に分与して人参の栽培を奨励しました。その中でも徳川の親藩、譜代藩である松江藩、会津藩で盛んとなり、明治初期に会津から信州に種子が移入され、今日の三大産地に至っています。

膨化高麗人参濃縮物は厳しい工程管理の下で製造







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